酒向芳子氏(故立教女子短大理事長夫人)スピーチ

Excuse my speech in Japanese. 日本語で(夫に叱られるので)。大変惜しい先生を亡くした。奥様やご家族を思い、ため息を禁じえない。今は亡き夫と病名も同じで思いは深い。昨年は母も危篤状態だった為、奥様に声かけず残念。曾我先生の物理学者としての多大なる業績に加え、留学生にご尽力、父と慕われた。夫は青山短大、立教大からも多くWMUに学生を送ったが、それも曾我先生のご尽力の賜物。夫は40年以上前、71年に学生引率でWMUを訪問、曾我先生に会った。一旦帰国後、WMUに留学、留学が延びるので私も婚約者として夫のもとへ。WMUのクラスを取った。私にとってもカラマズーは第二の故郷。曾我ご夫妻のお陰で思い出深いものだった。

Mr. Satopdf

ご夫妻は理想的夫婦。息子が15-6年前にカラマズーに留学、病気になり入院したが、親身になって手伝ってくれ、私自身も2週間曾我先生宅に居候、その時ご夫婦の仲のよさを垣間見た。低血圧で起き上がれない奥様の為に、先生が毎日朝食を作ってくれた。お昼は先生が料理の本をみて、物理学者らしく料理本通りきっちり作る。本以上に美味しいご飯だった。愛妻家で仲むつまじい、また、よく二人でお話をされていた。曾我先生は飄々として、少年の様な笑顔。頭が低く奢ることのないお人柄だった。親身に学生の世話をされた。地下室には日本の本がいっぱい。多くの学生が集まり自分の家庭のような拠り所となって賑やかだった。ともかく、ご夫妻には大変世話になった。今日のこの会にも、曾我先生の魂が舞い降りてきてくれているかも。ご冥福を祈ります。